【Player’s Story Vol.05】藤村 怜「戦わなくちゃいけない。オキさんのためにも」

北海道コンサドーレ札幌のアカデミーで育ち、将来を嘱望されてきた。しかし、プロの壁にもぶつかり、いわてグルージャ盛岡で結果を残すも、ザスパでの1年目はケガに泣き、チームはJ3に降格。数々の苦境と戦いながら男は持ち前の技術力だけでなく“戦える選手”に進化してきた。26歳、藤村は今こそ最盛期への歩みを強めていると言えるのだろう。
ピッチでの立ち振る舞いを見た人は同じ印象を持つ。
「遠藤保仁に似ている」
かつて札幌で師事した“ミシャ”ことペトロヴィッチ監督からも声をかけられていた。
「ヤットのようになれ」
プレースタイルが酷似しているわけではない。それでもボールタッチ、蹴り方、独特な雰囲気がどこか日本のレジェンドを彷彿とさせる。
もっとも、26歳となった藤村は周囲が抱く華麗なイメージとは異なる熱い想いも抱えている。
「まずは戦わなくちゃいけない。そのうえで戦術や個人の技術がある」
そうした胸に刺さる言葉は人前では口にせず、プレーで示せば良いと考える“クールだけど心は熱い”男は、確かな技術力とチームのために戦う献身性を前面に押し出しながら、脂が乗り始める26歳として、ザスパの新たな旗手へ期待値を高めているのだ。

振り返れば、札幌のアカデミーで育ち2017年にはJリーグYBCルヴァンカップで当時クラブ最年少記録となる17歳11か月7日でプロデビュー。技巧派のアタッカーはボランチとしての適性も名伯楽であるミシャに見い出され、輝かしい一歩目を踏み出した。
しかし、本人の受け止めは周囲の喧騒とは異なっていた。
「最年少で試合に起用していただいたときは、急な話でしたが、若かっただけに『ここでやってやろう』というギラギラ感もありつつ、一方で正直、自分のことを“大した選手ではない”とも感じてもいました。だから不安も大きかったですね。貴重な経験をさせてもらえたのは良かったですが、実際はピッチで何もできなかったですし、このままじゃダメだと、ここから頑張らなくちゃいけないという想いでした」
当時の札幌のボランチには荒野拓馬、深井一希、宮澤裕樹ら錚々たる先輩たちが並んでいた。
「プロになる前はFWやサイドハーフだったので、ボランチはまったくやったことがない未知の世界。でも、若かったので吸収力も高かったですし、練習中からやれる手応えもありました。細かい個人戦術、守備は物足りない部分もありましたが、自信を持ちながら過ごすことはできていました。ボランチとしてプロで戦っていくんだと決意もしていましたね。
ただ、周りはすごい先輩ばかりで、今のままじゃダメだという客観的な視点も持っていました。だからこそ自主練を続け、今は力を蓄える時期で、食らいついていこうと考えていました。でも、経験の浅いボランチでは練習や練習試合でできていたことが、公式戦ではなかなかうまくいかないことも多かった。戦術は理解していてもそれ以外の部分でボランチとしてどう動くべきか迷う面がありました」
トップチームに正式に昇格した2018年~2020年の札幌では、なかなか公式戦に絡めない日々。
「ゲームに出られなかったので正直『俺ってサッカー選手だよな』と考えてしまうこともありました。正直なことを話せば何回も心は折れていました。でもそんなときに自主トレにつき合ってくれていたのが(当時札幌のコーチだった)オキさん(現ザスパ群馬監督)でした。全体練習が終わった後に一緒にメニューをこなし、オキさんは僕のことをずっと気にかけてくれていた。この人がいるからこそ踏ん張れると思っていましたし、今も感謝しかないですね。
間違いなく言えるのは家族を含め、自分ひとりじゃここまでサッカー選手を続けられなかったということ。家族がいなかったら、サッカーを辞めていたかもしれないですし、家族のために頑張ろうという想いも強かったです」

2021年にはJ2モンテディオ山形への期限付き移籍で現状の打破を図ったが、「初めての移籍はすぐにケガをして出遅れたうえに復帰したら再発する悪循環。キツかったですが、他のチームで異なるサッカーを経験し、知らない土地で生活して人間的にも良い勉強になりました」とリーグは5試合0得点と結果を残せずも、刺激を得た。
そして2022年にはレンタルバックした札幌でまさに勝負の1年に臨む。だが、リーグ戦で0試合0得点、ルヴァンカップで1試合0得点、天皇杯で2試合0得点。シーズンオフに発表したのはJ3いわてへの完全移籍であった。

「危機感はめちゃくちゃありました。カテゴリーを下げて戦って、それで結果を残せなかったら選手として“終わり”だろうなと。サッカー人生を懸けたといえるほどのシーズンでしたね」
プロとしてもう後がない――。ジリジリとした状況で、それでもいわてとの出会いは幸運だった。
「札幌ではミシャのもとでプレーさせてもらい非常に貴重な経験をできました。ただ、そのときはどうしても戦術に頭がいきがちだったように思います。一方、岩手では監督や周囲の方々のお陰で初めて全試合に出場でき、そのときに強く感じたのは、本気で戦った先に戦術や個人の技術があるということ。自分の技術力を100パーセントは出せなくても、まずは戦えなくちゃ話にならない。そうしないと意思はチームに伝えられない。そこに気づきました。だからこそ僕にとってかなり大きな岐路でした。やっぱり試合に出ないと感じられないものはいっぱいある。やっとサッカー選手として充実することができましたね」
ボランチとしてフル稼働し、藤村は逞しきひとりのプロ選手へと成長した。そんな姿に獲得のオファーを送ったのが、ザスパだった。

だが、彼のキャリアには障壁がつき物なのか。いや、それこそが彼を押し上げる原動力なのかもしれない。ザスパ1年目は3月に「自分のキャリアのなかで最も大きなケガ」と語る、全治3か月と診断された右足第5中足骨骨折をし、その後も状態は上向かずに、チームもJ3に降格。「前の年にいわてで自信をつけ、“ここから”というとき。自分に期待して獲ってくれた方々にも申し訳なく、かなり沈みました。当時は自分と向き合うしかなかったです」と苦しい1年を過ごした。
そんな藤村に運命的な出会いがあった。札幌時代、試合に絡めず折れかけた心をコーチとして何度も支えてくれた沖田優が、2025年にザスパの監督に就任したのだ。
「オキさんがいなければ今の自分はない。あのとき助けてもらったオキさんのために。これ以上ない恩返しは、優勝して一緒に喜ぶこと。だからこそ結果を残したい。その想いは強い。オキさんからも自分が目指すサッカーに必要だと言ってもらえ、その想いにも応えたい」
新たな活力も得た男はシャドーをメインポジションにザスパの攻撃を牽引する存在となっていく。

ケガからの完全復活を期した昨シーズンも自身にベクトルを向けてきた。
「個人的にはシーズン序盤はなかなかコンディションが上がらず、持っているものをなかなか出せない時期が続きました。ただ、そういう時期も自分から逃げずに突き詰めることができた。だからこそ調子を上げられました。中盤戦以降は自分が中心になり、自分の調子が良ければ、チームもうまくいくという実感も得られました。
そのなかで再びケガをしてしまい、復帰後もコンディションを戻すのは簡単ではなかったですが、自分の身体と会話をするように、どうすればコンディションを上げられるかを考えながら、最後の6試合はスタメンで出させてもらいチームも6連勝。走る、戦うという部分では個人的に100パーセントを出せていたと思うので、あとはプラスして個人のところで打開もしたかったです。1年を通じての結果も1得点5アシスト。満足はまったくできないシーズンでした」
それでも勝てない時期に、藤村が体現した“戦う姿勢”はチームに伝播したに違いない。
「チームとしてうまくいってなかったとき、自分のところで変えられることはないか、監督の求めていることに加えて自分が動くことで周りがやりやすい環境にならないか、ずっと考えていました。ただ、そのなかで意識したのは、まずは戦う姿勢を見せないと始まらないということ。どうしても今のチームのやり方的にポゼッション志向、綺麗に攻撃をしていくことに頭がいきがちですが、それと同じくらい戦うこと、体を張ることを、こういう戦い方だからこそやらなくちゃいけない。それをみんなで最後の6試合で表現できたと思っています」
そして迎えた今シーズンはここまで6試合1得点(3月23日時点)。「自分的にはまったく満足いっていない。そういうふうにしか思っていないです。自分の力を100パーセント出せているかと言われれば、まだ6割くらいの感覚。なので悔しい気持ちのほうが強いです」と話す。それでも改めて自覚はある。
「オキさんのもとでこうやってボールを大事にするサッカーをしているとプレッシャーをかけてくる相手が多い。だから、個人的には自分のところでプレッシャーをすべて“折る”くらいの気持ちでやっています。そう考えると自分のパフォーマンスはまだまだ。プレッシャーをかけられてミスをしているシーンもあります。
ポゼッションを円滑にするにはチームとしてのやり方も大事ですが、個人の力も絶対に必要になる。対策されたときに自分のところで剥がせればチームは楽になる。だからこそ相手のことをもっと観察しながら、どこに立ってどういうトラップをするかなど、自分のプレーをより突き詰めていきたいです。試合映像を振り返れば反省ばかりで、次はこういうポジショニングを試してみようなどその繰り返しですね」

思えば故郷の北海道を飛び出し、遠い地までやってきた。
「プロになり、ここまでサッカーを続けられるとは思っていなかったですし、振り返ればよくここまで続けられているなという気持ちです。ただ、現状に満足しているわけではなく、自分はもっと上にいけると信じていますし、自分の実力を出し切れていない部分があるので、やっぱり練習で積み重ねていくしかありません。個人的なプレーでは技術には自信がありますが、そのうえで現代的にも走って戦えて守備もできて、強度という部分ではもっと高めないといけない。そのうえでうまいからこそ試合に出ざるを得ない選手になっていく。ゴール、アシストと数字を残していきたいです」
さらに所属3年目を迎えたザスパの印象も語る。
「ポテンシャルがすごくあるクラブだと思いますし、GCCザスパークという施設を持てるのもスポンサーの方々の支えを含めてクラブの力だと感じます。こういう環境にあるクラブは上のカテゴリーにいないといけないですし、やっぱりアカデミーの子どもたちもトップチームがJ1に上がっていくことで意識も変わるはず。自分たちが上に行くことでクラブもより大きくなります。そのなかでザスパのアカデミーに入りたいという子どもも増えるはず。だからこそ、J3で優勝し、J2でも優勝して、J1でも十分に戦えるクラブになる。そうすればクラブとしても夢が広がります」
かつての自分が札幌のトップチームの選手たちに憧れたように、今度は自身の背中を見た群馬の若き芽たちが、ザスパの未来を背負っていく。そんな光景を想像すると、楽しみで仕方がない。
「僕も子どもの頃に憧れていた選手たちと、プロになって一緒にサッカーができたとき、感慨深いものがありました。追いつきたいし、追い越したい。ユースから上がって来た子たちが多ければ多いほどクラブは活気づくはずです」
そして個人的にも夢がある。
「キャリアで優勝を経験したことがないので、このチームで優勝を経験したい。そしてオキさんを胴上げしたい。その想いがすごく強いです」
藤村は逞しさを増しながら上を見続けて進んでいく。
文:本田健介
カテゴリ:INTERVIEW




