COMPANY

会社概要

HISTORY

1995
  • サッカー東日本サッカーアカデミー設立
  • 群馬県社会人サッカーリーグ4部優勝
  • のちにクラブの前身となる「リエゾン草津」として編成、群馬県社会人サッカーリーグ4部登録
  • 東邦チタニウム(当時JFL)のコーチだったラットコ・ステボビッチ氏就任
1996
  • 群馬県社会人サッカーリーグ3部優勝
1997
  • 群馬県社会人サッカーリーグ2部優勝
1998
  • 群馬県社会人サッカーリーグ1部7位で2部に降格
  • 日本人監督鈴木隣就任。専門学生以外の選手も加入が始まる
1999
  • 東日本サッカーアカデミーが閉鎖され、選手も4名まで激減
  • 地元サッカークラブの協力を得てチームは存続し、群馬県社会人サッカーリーグ2部に残留
2000
  • 群馬県社会人サッカーリーグ2部2位
  • ラットコ・ステボビッチ監督が復帰し、選手18名で存続
2001
  • 選手35名でシーズン開幕
  • 群馬県社会人サッカーリーグ2部優勝
  • 関係者の紹介で、大西忠生・植木繁晴・賢持宏昭の3名が草津町を視察
2002

群馬県リーグ1部1位

ザスパ草津誕生!
4月にチーム名を「リエゾン草津」から「ザスパ草津」に改名し、発足式を湯畑で開催。初代監督には奥野僚右が選手兼監督として就任し、元日本代表で前橋市出身の小島伸行がコーチに就任した。群馬県社会人サッカーリーグ1部優勝を果たす。

2003

群馬県リーグ2部1位

JFL昇格。天皇杯初出場。
株式会社草津温泉フットボールクラブを設立し、日本サッカー協会へ「Jリーグ入りを標榜とするクラブに対する優遇措置」を申請。
同申請が満場一致で承認され、11月に開催される全国地域リーグへの出場資格を獲得。群馬県サッカー協会長杯決勝戦において、群馬FCホリコシを3-0で破り天皇杯出場権を獲得。関東サッカーリーグ2部優勝を果たし、第27回全国地域リーグ決勝大会優勝。JFL昇格を決めた。

2004

JFL3位

Jリーグ昇格決定。天皇杯ベスト8。
JFLとしての1年がスタート。JFL年間順位3位を確保。12月にJリーグよりJ2昇格の承認を受けた。
天皇杯では5回戦で横浜マリノスを延長戦で制し、準々決勝まで進出、ベスト8となる。

2005

J2成績5勝8分31敗12位

Jの洗礼。厳しい船出。
Jリーグ昇格元年。最下位の12位に終わり、Jの洗礼を浴びたシーズンだった。手塚聡監督の下、攻撃的でアグレッシブなサッカーを掲げてJの舞台に挑んだが、わずか5勝。「9位以内」とした目標には遠く及ばず。大差で最下位に終わった。創立以来、快進撃を続けてきたザスパにとって、初めての苦しい1年となった。

2006

J2成績9勝15分24敗12位

高田、島田が核。得点倍増。
J参入の立役者である植木繫晴氏が監督としてチームに復帰。9勝を挙げて最下位から脱出した。新加入のFW高田保則とMF島田裕介が中心となり、前年から倍増の54得点を記録。86失点の守備が課題となったが、走力をベースにした攻撃サッカーでチームの成長を感じさせた。

2007

J2成績7勝21分20敗11位

リーグ最多21引き分け。
植木監督新体制2年目は、リーグ最多の21引き分けを記録。主導権を握る場面が増えるなど試合内容に成長を感じさせたが、シーズンを通じて勝負弱さが目立った。第1クールを4勝4分け4敗と好スタート。躍進を予感させたものの、得点力不足でその後は失速した。

2008

J2成績13勝14分15敗9位

悲願の連勝達成初の1ケタ順位。
植木監督体制の集大成となる3年目は、初の1ケタ順位となる9位に食い込んだ。ホームでの第15節水戸戦で、J参入後初の連勝を達成。試合終了間際にMF 松下裕樹が劇的なゴールを決め、悲願を果たした。これで波に乗り、第2クールには4連勝。一時は5位に浮上した。

2009

J2成績18勝11分22敗10位

開幕3連勝。都倉が23得点。
「トータルフットボール」を掲げる佐野達監督の下、J5年目のシーズンに挑戦。開幕3連勝と絶好のスタートも、その後に低迷。失点の多さが目立ち、最終順位は10位だった。一方で加入2年目のFW都倉賢がリーグ2位の23得点と大活躍。攻撃的なサッカーで観客を魅了した。

2010

J2成績14勝6分16敗12位

副島監督就任。ブラジル人活躍。
副島博志氏が監督に就任。主力選手の移籍でチームづくりに時間を要し、開幕5連敗と苦しいスタート。新加入のFWアレックスの両ブラジル人がフィットすると結果が出始めた。シーズン終盤には4連勝を達成し、最終順位も19チーム中12位と健闘した。

2011

J2成績16勝9分13敗9位

初の勝ち越し10戦負けなし。J参入7年目は躍進のシーズンとなった。
16勝9分け13敗での初の勝ち越しを達成。20チーム中9位に食い込み、J1昇格に近づいた。シーズン途中にエースFWラフィーニャが移籍し、一時は15位に低迷したが、終盤10試合は負けなし。アグレッシブなサッカーで上位を猛追した。

2012

J2成績12勝11分19敗17位

最悪の7連敗。得点力不足響く。
「J1昇格」を目標に戦うも、22チーム中17位に終わった。開幕戦を勝利するも、4月下旬から5月にチームワーストタイの7連敗。シーズンを通じて得点力不足が目立ち、思い通りの結果を残せなかった。3年間チームを率いた副島監督は、今シーズン限りで退任した。

2013

J2成績9勝13分20敗20位

苦しい残留争い。終盤は成長示す。
初のOB出身となる秋葉忠宏氏が監督に就任。大幅に選手が入れ替わったことが影響し、開幕から低迷した。シーズン半ばに目標を「J2残留」に定める苦しい1年となった。第40節鳥取戦に引き分けて残留を決めると、終盤には神戸やG大阪といった強豪と引き分け、成長を示した。

2014

J2成績9勝13分20敗18位

天皇杯躍進。支援に感謝。
秋葉監督体制で2年目を迎え、「J1昇格」を目標に戦うも、18位でシーズンを終了した。一方、天皇杯は躍進した。5年ぶりに初戦を突破し、3回戦で浦和レッズを撃破。4回戦で名古屋グランパスに敗れたが、J1勢と好勝負を繰り広げた。経営危機に直面し、多くの方々の支援でクラブライセンス交付に至った。

2015

J2成績13勝9分20敗18位

服部監督が就任。新人江坂が13得点。
前橋商業高校出身の服部浩紀監督を招聘。「無我夢中」をスローガンでJ1昇格を狙うも、最終順位は18位と振るわなかった。ただ、C大阪と千葉から2勝を挙げるなど、強豪チームから勝ち点を奪い、リーグに旋風を巻き起こした。個人では大卒ルーキーのFW江坂任が13ゴールと大活躍した。

2016

J2成績11勝12分19敗17位

大卒ルーキー躍進。過去最多平均入場。
前年から約20人の大幅入れ替えとなった服部監督体制2年目。開幕連勝で首位に立つも7月中頃には最下位へ転落。その後、巻き返しを図るが、終盤まで残留を争うことに。13得点をあげた大卒ルーキー瀬川祐輔をはじめとする大卒選手たちがレギュラーの座をつかみ活躍。

2017

J2成績5勝5分32敗22位

チーム発足15周年。無念のJ3降格。
チーム発足15周年、J1監督経験のある森下仁志監督を招聘したものの、開幕から11試合勝ちなしの状況へ。5月に入り、韓国人ストライカーのカンスイルの加入で勢いがつき、3連勝と一時期は降格圏を脱するも、年間で5勝しかできず、最下位決定。J3降格となった。

2018

J3成績15勝7分10敗5位

J3から1 年での復帰ならず。
J2から降格してJ3で戦う1年目となったシーズン。「乾坤一擲」をスローガンに、1年でのJ2復帰を掲げたものの、序盤戦で結果を残せず苦しいスタートに。夏以降、順位を上げ昇格争いに最後まで絡む戦いを見せるものの、残念ならが1年でのJ2復帰とはならなかった。

2019

J3成績18勝9分7敗2位

選手を大幅に入れ替えJ2復帰を果たす。
選手の約8割を入れ替え、チームを刷新。その後も積極的な補強でチームを強化し、一時はリーグ首位に立った。しかし終盤は勝ちきれない試合が増え、昇格争いは最終戦までもつれ込むも、その最終戦で福島に勝利。勝ち点で同率の藤枝を得失点差で上回り、念願のJ2復帰を決めた。

2020

J2成績15勝4分23敗20位

奥野監督カムバック。現行J2最多の15勝。
ザスパ初代指揮官(選手兼任)の奥野僚右監督がクラブに戻ってきた。3年ぶりのJ2の舞台となったが、新型コロナウイルス感染拡大によってリーグが中断し、降格なしの異例シーズンになったが、チームは確実に進化を遂げた。リーグ序盤は苦しんだものの、ラスト6試合で5勝1分。現行J2クラブ最多の「15勝」を挙げて20位でシーズンを終えた。

2021

J2成績9勝14分19敗18位

パンデミック下での苦闘。最終節で残留決める。
新型コロナウイルス感染拡大による制限下での試合およびシーズンが進む中、チームは上昇のきっかけをつかめずにいた。成績不振により7月にはクラブ史上初となるシーズン中の監督解任を決断。後任としてヘッドコーチの久藤清一が就任。9月には前橋市出身で日本代表経験もある細貝萌が加入。北関東ダービーの初優勝を飾ったものの、4チーム降格の残留争いに最終節までもつれ込む。大宮との試合が1-3で敗れたが他会場の結果によりJ2残留を決めた。

2022

J2成績11勝9分22敗20位

大槻監督就任。苦しみながらも掴んだJ2残留。
過去に浦和レッズで指揮を執った大槻毅が監督に就任。3節(仙台戦)で主将の細貝萌が負傷するもチームは着実に勝ち点を重ね、3連勝を達成した10節終了時点ではリーグ4位に浮上した。しかし17節から10試合未勝利となり、リーグ下位の苦しい状況に陥る。残留争いに巻き込まれる中、ホーム最終戦の盛岡戦で5-1の大勝を収めJ2残留を確定させた。

2023

J2成績14勝15分13敗11位

プレーオフ圏内進出の可能性もみえた、躍進のシーズン。
大槻監督体制2季目は戦術の浸透と若手の台頭によりシーズン序盤から好成績を残し、9節(大宮戦)での4連勝によりリーグ4位につけた。その後も一戦一戦を粘り強く戦い”負けない”試合を続けることでリーグ中位以上をキープ。最終的には22チーム制となったJ2リーグでクラブ史上最高位となる11位でフィニッシュ。最終盤までJ1昇格プレーオフ圏内の6位に入る可能性を残す、躍進のシーズンとなった。